キャパンのネゴト

うまく働けない欠陥労働者が日々考えることと目指すもの

ホウレンソウのためのホウレンソウ

 

 

 

ただのホウレンソウである。

 

 

ブログは勝手なものだ。

何を書いてもいいし何も書かなくてもいい。

収益を求めているわけでもないから中身もなんでもいい。

 

 

ブログは勝手なものだけど、読んでくれる人はいる。

自分だけで完結する日記とは違う。

「好きにやってるだけだい、ふんっ」と言ったって、その「ふんっ」自体を知る人がゼロかイチかでは大きな違いがある。

 

 

だから、好き勝手に書きながらも読み手を意識することなく書くことはできない。

 

 

 

 

 

いままで、気分的にうだつのあがらない時がずっと続いて、それで「イヤダイヤダ」「腐れこんな世の中」なんてことばかり書いてきた。

死んだって別にいいと思っていた時もあったし唇から始まってほほ、首と顔面にボツボツができた時もあった。

ウツでネクラで、不愉快までいかなくても決して気分の良いものばかりではなかったはずだ。

 

 

それでもここのところ、少しずつではあるけれど、帰宅時の総武線のガラスに映る自分の目に光が宿ってきたように感じる。

ここにも行きたいしあれがヤりたいしそれも欲しい!

 

 

そういう気分なんだよありがとう、ということを伝える、ただのホウレンソウである。

 

 

 

 

 

先週は宮古島に行って海に入って、今週は内房に行って海を眺めながら電車に乗っていた。(宮古島の旅記事がやはり進まない、なんなん)

海への永遠の憧れは出生が内陸な人間の定めなのかと恨めしい気分になりながらも、心はどこか踊る。

 

 

気温も暖かくなってきた。洗濯物は外に出せば日が当たらない我が家でも一日で乾くようになったし、ベランダで過ごすこともできるようになった。

ランニングも億劫ではなくなったし、コートの中のファーも取り外せる。

何よりも日光はおれを楽観的な気分にさせてくれる。

 

 

環境を変えようとも思った。

そもそも最初に入った会社でフィットするなんてことは有り得ない。もしそうなら、それは金持ちに生まれるよりも志望校に合格するよりも遥かに幸運なことである。

誰しも初めは戸惑い、その中で適応していくか・別を探すかの二択を迫られる。

環境を変えるとは、ただその時に「別を探そう」と決めることである。二分の一。

 

 

とにかく、そんなこんなで、ちゃんときょうも呼吸をして肺を動かして、心臓を動かして血液を循環させている。

一を積み重ねること、いまはとりあえずそれだけ。

 

 

 


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浜金谷の遠くに見える東京湾

 

宮古島の海たち。海への憧れ。