キャパンのネゴト

うまく働けない欠陥労働者が日々考えることと目指すもの

迎合と多少の自己主張

きょうは、大学の頃にお世話になった人に会いに行った。

 

前は活動の場でしかなかった桐生の街も、

住むこと、仕事をすることの目線で見るとまた違う風にみえる。

古い路地と地元の人がのんびり暮らす様子に緩やかな時間の流れと、

同時に過去の栄華を捨てきれないような遅れた気高さを感じる雰囲気におもしろさを感じる。

新しい流れも徐々にできつつあることも好印象を与える。

まあ、いろいろなしがらみはあるらしいけど。

 

 

 

 

 

会社にいることを、自信を持って説いて納得感を与えられる大人は、

実はそう多くないんじゃないかと思う。

 

自分が納得していなければ不可能だろうから。

 

 

 

おれはアウトローにはなれない。気質はあっても思考が邪魔するから。

でも真っ当に生きることはできない。思考はあっても気質が邪魔するから。

 

結局のところ、中途半端な人間なのだ。

そういえば、小さい頃から言われていた。

 

 

 

 

社会とは、役割を与え合う場とのこと。

社会人とは、役割をこなす人のこと。

 

社会において、それを円滑に廻す為の役割を上手にこなせることが、良い社会人たる条件であるとのこと。

しかし、役割をこなすことは自分を表現することとはほとんどの場合で同居しない。

 

 

おれならきっと、良い社会人たる思考を持っている。たぶん。

おれならきっと、うまく表現をする気質を持っている。たぶん。

 

要は、迎合と多少の自己主張だ。

 

 

まだその段階なのだ。そういうことだ。

目指せ、自己主張と多少の迎合。

 

 

それにしても最近は、ツライキツイとわめき散らしている。どんまい。

みなさま、ありがとうございます。