自己主張と多少の迎合

安寧を貪るジジイ的社会人2年目の、前を向くための日報

飽きるまで、遊びをせんとや生まれけむ!

前回の記事では、ついになんの本を読んだのか書き損じた。

 

 それに、締めもちょい微妙だった。

大事なワードを入れ直したので、よければご一読くださいませ。

遊びをせんとや生まれけむ! - 自己主張と多少の迎合

 

 

大人はもっと遊びなさい (PHPビジネス新書)

大人はもっと遊びなさい (PHPビジネス新書)

 

 さて、この本には梁塵秘抄の言葉の他にもいいこと書いてありました。

 

飽きるとは、飽きるほど没頭した証である。やり尽くしたという達成感が、飽きという感情を呼び起こすのだ。 

 基本、貧乏性な考え方をするから、「飽き」がコワい。

楽しかったことがそうでなくなること、

乗ってきた波が終わること、それはおれにとっては恐怖である。

いま持っているもの(楽しい気持ち)がなくなるのを恐れるから、

本気で楽しみ尽くせない。だからやり尽くすことがほとんどない。

 

飽きるほどやることは、言うほど簡単ではない。

 

 

同じものを見ても、その人がどんなバックグラウンドを持っているか、何に関心があるかで、目に入ってくるものが異なるのである。

これはつまり、関心事が多い人ほど、同じものを見ても得られるインプットが多いということだ。 

 遊びにいったとき、観光をしているとき、どれだけ仕事の目線で物事を見れているかな。

もしあまりみれていなかったら、いよいよ仕事に関心がないということか・・・

その他の目線で、どうしてもしてしまう見方はないか。

もしあるなら、それは自分の関心の矛先を見付ける機会になる・・・

 

 

日常に潜むそれを遊びと認識するには、何らかの名称が必要だ。(中略)

名前をつけることは、見落としがちだが案外と大事な事である。 

 これはウロコ的な箇所。言われてみれば。

特に意識した事もないことでも習慣的にやっていることがある。

例えば蛇道のように曲がった道を、それに沿って歩かずにできるだけ真っすぐ歩こうとすること。

これも遊びにできるということか・・?

「道に騙されずに目的地まで真っすぐ歩くゲーム」楽しくなりそう・・?

 

 

 

多くの人がする遊びをする場合は、縛りを設けると趣が生まれる。 

 

あちこち旅行をするのが好きならば、訪れた先の市長村役場の写真は必ず撮るとか、郵便ポストを見つけたら必ず撮るなどといったルールを設けてもいいだろう。 

 縛りを加えたり視点を変えれば、いまやっていることも「誰もやっていないこと」になる。

好きな事で、しかもその「誰もやっていないこと」を遊び続ければ、

おもしろい話しという産物と、もしかしたら棚ぼたな成功があるかもしれない。とのこと。

それはそれでがんばってみたい。

 

 

 

がんばってみたい?

 

 

大人とは、遊びですらここまで考えて、自らに「いま遊んでるよ!!」と言い聞かせなければならないのか。

とほほなこと。

 

 

せめて、「遊んでいる」と気が付かない「遊び」くらいは、

飽きるほどやって、やり尽くして飽きて、そこで気が付きたいものです。