キャパンのネゴト

うまく働けない欠陥労働者が日々考えることと目指すもの

距離を取って見える日常の可笑しさは愛すべきなのか問題

長野県北部に来ている。

 
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普段、ビルしかない場所でそのうちの一つのビルの中にいるから、外に出れる機会は本当にうれしい。

 

いつもと違う日常を送ってみると、

いつもの日常を客観的に見ることができる。

 

いまこの時も、同じ空の下の、東京は日本橋のオフィスではパソコンを叩いてるひとがいるのか。

おれがパソコンを叩いているときは、

自然の中で活動しているひとがいるのか。

そこに流れる時間だけは平等なのか、と。

 

帰省してベッドでまどろんでいるときなどは、

意識がヒュッと飛んでオフィスの天井に行って、

猫背でイライラしながらパソコンとにらめっこしてる自分を見ることもある。

 

 

距離を取れば取るほど、

日常から離れれば離れるほど、

通常の生活の可笑しさが認識される。

そんな可笑しさから逃れたいと思う。

 

 

いやそれでも、

たまに外に出るから良いのか。

日常の可笑しさは愛すべきものなのか。

 

どっちだかわからない。

 


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