キャパンのネゴト

うまく働けない欠陥労働者が日々考えることと目指すもの

書きたいけど書けないことを書く

タイプが進まない。

 

 

 

わたしがブログに書くことは大抵、誰かと話したことだ。

そして話したこととか話したいことはたくさんある。

新入社員が入ってきたはなし、職場で席替えをしたはなし、ひとの家に泊まり続けたはなし、オススメされた本を読んだ感想、月島のもんじゃの感想……

 

わたしのブログへの書き方はだいたい、思ったことのベタ打ちだ。

iPhoneのアプリでその場で書けるから簡単で忘れない。

 

 

 

 

校正のタイプが進まないのだ。

 

 

 

 

たとえデジタルゴミだとしても、曲がりなりにも世の中に出すもの。体裁くらいはキレイに整えたい。

おまけに、より多くの人に読んでもらいたいなんて思ってる自分もいるわけだから、そりゃあ自分が話したいことを書くだけではダメだ。

頭悪いと思われないような論理的な前提の整理や章立てが必要だし、偏屈だとバレないような他の意見への配慮もほしい。一人語りを最後まで読んでもらうには、たまにはオチもつけといた方がいいだろう。細かいところでいけば表現や接続詞や文末も気を付ける。(だ。ばかりじゃない、よし。)スラッと読めるか、リズム感もあればなお良い。(ここは一気に駆け抜けてもらうために段ワケしないでおこう。)

 

 

そんな校正が必要なのだが、いっこうにやる気が起きない。

気持ちが沈んでいるわけではないから、たぶん体力的な問題だろう。何度も読み返して見た目を整えていく作業は、割りに疲れる。

 

 

 

 

だからといってこの文章たちは、あくまで精神の安定剤だ。

定期的な発散による内部均衡を保つ手段だ。

いい言い方をすれば言葉の運動だし、やな言い方をすればさながらオシッコだ。

 

溜まればカラダに悪影響が出る。

 

 

 

よってきょうはこんな内容になる。

書きたくないということを書いた。

書きたいことはあるのに書きたくない。けど書かずにはいられない。

 

オチはないけどそういうのは書きたくないのだからしょうがない。

 

もしエネルギーを正しく使い切ってなおかつ書かずに平静を保てるときがきたら、それは幸せか?

 


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