「いいひと」がいなくなれば世の中は平和になる②
昨日の続き
「いいひと」を辞めたら、敵が増えた。
「なぜできない?」と聞かれる。「なぜやってくれない?」と責められる。
「みんながそれしたらどうなる?」と脅される。「いいひと」と比較をされる。
そして「かわいくない」と嫌われる。まあ、当然の反応かもしれない。
これらの反応は全て、「こうだと思っていたのに」「こうであってほしい」という勝手な期待の喪失が、原因だ。
「当然○○するだろう」と、空気という名の人々の巨大な期待があり、そして「その空気を読むだろう」と、目の前の相手の期待がある。その期待を無視すると次は、空気を読まないことを空気を読むことができない、とあたかも能力がないような言い方をする。「あえて空気を読まない」選択肢を消して誘導している。まだ期待しているわけだ。
こんなわたしの考え方は間違っている。勝手すぎる。
そう忠告するために、「みんなが「いいひと」を辞めたらどうなる!?」と問う。
どうなると思って聞いているのだろう。みんな自分勝手に生きて世の中が崩壊すると思うのだろうか。それを想像したのか。見たことあるのか。
私は、世の中は平和になると思う。
みんなが「いいひと」を辞めたら、「期待に応える」ことを辞めたら、ひとはひとにそれこそ自分勝手な期待をすることを辞めるだろう。
自分が応えない期待を、誰にできるのか。
自分都合で生きることは、他人の尊厳を踏みにじることとは違う。
自分都合で生きることは、他人の都合も認めることだ。
それでも「いいひと」を辞めたことに批判が出るのは、そこに「いいひと」がいるから。自分が「いいひと」でいなければいけないから。
そんな危うい綱渡りのような仮初めの関係は必要か。
ラクに生きよう。
みんなが「いいひと」を辞めたとき、素直にバランスの取れた世界が待っているかもしれない。
続く