キャパンのネゴト

うまく働けない欠陥労働者が日々考えることと目指すもの

「いいひと」がいなくなれば世の中は平和になる②

昨日の続き

 

geigo-capan.hatenablog.com

 

 

 

「いいひと」を辞めたら、敵が増えた。

 

「なぜできない?」と聞かれる。「なぜやってくれない?」と責められる。

「みんながそれしたらどうなる?」と脅される。「いいひと」と比較をされる。

 

そして「かわいくない」と嫌われる。まあ、当然の反応かもしれない。

 

 

これらの反応は全て、「こうだと思っていたのに」「こうであってほしい」という勝手な期待の喪失が、原因だ。

 

「当然○○するだろう」と、空気という名の人々の巨大な期待があり、そして「その空気を読むだろう」と、目の前の相手の期待がある。その期待を無視すると次は、空気を読まないことを空気を読むことができない、とあたかも能力がないような言い方をする。「あえて空気を読まない」選択肢を消して誘導している。まだ期待しているわけだ。

 

こんなわたしの考え方は間違っている。勝手すぎる。

そう忠告するために、「みんなが「いいひと」を辞めたらどうなる!?」と問う。

どうなると思って聞いているのだろう。みんな自分勝手に生きて世の中が崩壊すると思うのだろうか。それを想像したのか。見たことあるのか。

 

私は、世の中は平和になると思う。

 

みんなが「いいひと」を辞めたら、「期待に応える」ことを辞めたら、ひとはひとにそれこそ自分勝手な期待をすることを辞めるだろう。

自分が応えない期待を、誰にできるのか。

 

自分都合で生きることは、他人の尊厳を踏みにじることとは違う。

自分都合で生きることは、他人の都合も認めることだ。

 

 

それでも「いいひと」を辞めたことに批判が出るのは、そこに「いいひと」がいるから。自分が「いいひと」でいなければいけないから。

 

そんな危うい綱渡りのような仮初めの関係は必要か。

 

ラクに生きよう。

みんなが「いいひと」を辞めたとき、素直にバランスの取れた世界が待っているかもしれない。

 

 

続く

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