キャパンのネゴト

うまく働けない欠陥労働者が日々考えることと目指すもの

冗長だしかつ不愉快な文章

トイレのタンクの上にクモがいた。

トイレのタンクの上のクモの話し。

 

 

糸を張って我が物顔で空間を占拠しにかかるから、クモは嫌いだ。ここはわたしの家だから、勝手に縄張りを作らないでほしい。

 

 

ササササッと動く。

 

 

暖かくなってからはクモを見る機会が増えた。

窓やドアの開閉時や洗濯物の取り込みなど、気を付けていてもどこからか入ってくる。

ただいま、と玄関のドアを開けて、虫が入ってこないかと気を付けながらドアを閉じて、靴を脱いでその靴を整えると、いる。

 

 

そんな素早さだから経路はわからない。けどどうにかして入ったのだろう、トイレのタンクの上にクモがいた。

 

 

 

すぐにトイレットペーパーで取った。

ここで配慮すべきは、ちゃんと取れているか、確認はしないということだ。確認したら最後、少しあけたその隙間からカサカサっと這い出てくる。

ティッシュを持っているその手の上に遊びに来たら最悪だ。驚いてティッシュを投げてしまって、結果、雲隠れされる。クモだけに。

 

 

だからそのまま捨てるのが吉なのだが、問題はどこに捨てるか。

明るいうちなら外にも捨てられよう。しばらくしてからティッシュを回収したらいい。

だけど夜はダメだ。ポイ捨てになってしまうし、なによりそのクモ入りティッシュは捨てられても、他のクモが家に入ってくる可能性が捨てきれない。

 

 

手に持ったその紙を握り潰せばそれで話しは終わる。けれど自ら積極的に殺すことには臆すから、トイレに流す。

ここにいたあなたが悪いんだ。ごめんねさようなら。

 

 

ジャーーーー…

溜まっていた水が流れて、新しい水で満たされる。

この前、TOTOのお姉さんが言ってた。和式トイレはこの一回のために、13リットルの水を流すらしい。今は少なくなって4リットルくらいだが、それでも4リットルだ。だいたい1リットルの水を飲むとオシッコをしたくなるから、1リットルのために4リットルの水を使っていることになる。割に合わなすぎる、トイレ事情。

ましてやクモ一匹のためにだなんて、水にもごめんなさい。

 

 

悼む心も持ち合わせつつ、流れていくトイレットペーパーを見送る。

すると、グルグルと回るさなかにトイレットペーパーがほどけてあき、クモが開放される。流されていることを知ったクモは、このままいくかと必死に抗い、ドボドボっと水が吸い込まれるまでの数秒間、耐え切った。

 

 

残った水で泳ぐクモ。とにかく水際から這い出ようとするがツルッと滑って再び水に戻る。目が離せなくなってしまった。もう一度流しても彼はまた戻ってくるだろう。かと言って手を突っ込んで外に投げるわけにもいかない。一度取った策をそう簡単には替えられない。

 

 

5分ほどその生の論理に適った、しかし不毛な努力を見届けてから、トイレを出た。

 

 

不思議と、トイレを出るとともに驚き、考え、迷い、決断し、目を奪われたその一連の体験はすっかり忘れ去られ、日常が戻った。尿意すら。トイレに戻ったのはその2時間も後だった。

 

 

ドアを開けると、トイレのタンクの上に、クモがいた。1時間前と全く同じ位置で、同じ表情を浮かべるクモに、全てを思い出す。

 

トイレットペーパーを手に取った。一度捕まり生還したそのクモは、それにも関わらず抵抗する素振りは見せずに再び、おとなしく、捕まる。

もう一枚のトイレットペーパーを取る。さらにもう一枚取って、三重に包む。

そうしてから、水に浮かべ、流す。

今度は、流れていく紙の中から出てくることはなかった。

 

クモは、いなくなった。

 

 

ひとは寝ている間にクモを食べているという話しを聞いたことがある。

流されても胃に入ってもそれでも抵抗を続けるクモを想像する。

 

 

視界の端で、ササササッと動くものがある。

どうして排除してくれようか。