キャパンのネゴト

うまく働けない欠陥労働者が日々考えることと目指すもの

ウィスキーと葛飾北斎が突きつける現実

ウィスキーが好きだ。

銘柄が不明な安居酒屋の場合はこれに限らないが、ビールのあとはだいたい、ウィスキーを呑む。まだ水割りに慣れないから、呑み方はオンザロックである。キレイな琥珀色にツンとした香り、確かな味に加えて、その後に飲むチェイサーの水がうまい。丸い大きな氷で出してくれるバーに行きたい。

自宅にも常備されていて、いまはデュワーズ12年と山崎のボトルが待っている。

 

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そんなわけで、せっかくだから知識を得ようと思い、図書館で本を借りた。ウィスキーについての基礎知識、例えば醸造の仕方、生産過程による種別、シングルモルトの意味、スコッチとバーボンの具体的な差異、スコティッシュアイリッシュの対立などが詳述されていた。

 

ふつうに読み物としておもしろかったのだが、その中でも最も印象に残っていることがある。それは、完成までの過程の長さだ。大麦などの穀物の栽培から醸造から樽詰からさらに10年とか寝かせて、ようやく出回る。

なにもウィスキーに限った話ではないが、長い。

 

例えばウィスキー好きが高じ過ぎて生産に関わるとして、私はこれほど期間を要することには付き合えない。

過去を振り返っても、小学生の頃から、物事を長く続けた試しがない。長くて4年とかで、だいたいは1年で辞めることが多い。

飽き症なのだ。それも致命的な。

すぐに先が見えた気になって、始めのモチベーションが続かなくなる。そうやって新しいものに取りかかってはやめる。

 

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さて、両国に新しくできたすみだ北斎美術館に行ってきた。

http://hokusai-museum.jp/ 

美術にはトンと興味ないが、鑑賞はキラいではない。自ら進んで行くことはないが、付き合っては行く。

読書もそうだが、コスパがいいと思う。絵画にしろ本にしろ音楽にしろ映画にしろ、作り手は、命(それがおおげさならば人生の一部)を掛けて行う。そこに表現される一人の人間の濃縮体を1,000円とか2,000円とかで感じれるなんて、観ない手はない。

 

この美術館の良いところは、北斎の作品、錦絵の行程をイチから教えてくれた点にある。

小布施の美術館で観たときも、版画をどうやってカラフルにするのか、作製の過程の中で葛飾北斎は具体的に何をしたのか(描いたか彫ったか摺ったかもしくは内2つか全部か)が全くわからなかったのだ。

 

どうやらこういうことらしい。

版元(資本家)➡️絵師(芸術家:北斎)➡️彫師(職人)➡️摺師(工場)

www.ukiyo-e.jp

 

つまり、現在でも名声高い北斎の作品の内、その役割は紙に絵を描くことだったのだ。これは衝撃だった。

 

北斎は紛れもなく素晴らしい絵を描いた。アイデアも実用性も構図の取り方も天才的であったのは、展示を見てよくわかった。

それでも、それを世に送り出したのは絵をこれでもかというくらい細かく、丁寧に、気が遠くなるような精密さで彫ったひとがいるからで、また、決して紙がずれないように、色の濃淡が出るように何度も何度も摺ったひとがいたからだ。そして、彼らをマネジメントするひともいて、結局はそれぞれが役割分担の中で一部の仕事を担っていたのだ。

 

私は、この、物事の一部であることに耐えられない。始めから終わりまで徹頭徹尾、自分の力でやり通したいと思っている。この思考はかなり幼稚で世間知らずだ。社会人になって、身の丈以上の仕事を経験し、分業とか協力とかの大切さは理解した。

でも、耐えられない。

仕事の一部となること、会社の一部となること、自分一人でなにも成し遂げられないことが苦痛なのだ。

会社人として生きていく上で、絶望的な弱みである。

 

 

会社の「部分」にもなれず、仕事にはすぐに飽きる。

ウィスキーと葛飾北斎に現実を突きつけられて、私の生きる道は果たしてどこに。