キャパンのネゴト

うまく働けない欠陥労働者が日々考えることと目指すもの

仕事を、辞めた

 

仕事を辞めた。

会社は辞めていないけど。

2018年1月のこと

 

 

 

異動という手段を使って、環境を変えるという目的を達成したのだ。

 

 

 

入社時からしていた仕事は確かに自分で望んだものではあったけど、

その環境は入社前の想像とは異なり、熱を持てず、また苦痛を伴うものでもあった。

 

色々と不満はあったのだけど、嬉々として長く働く人たちがいるわけだから、

それ自体が悪であったわけではないのだと思う。

 

ただ、自分には合わなかった。

 

「合わない」

社会人として満2年も経っていないヤツが何を言っているという感じもするし、

たぶん年下がわかった風な口を聞いたら自分でもイラつく。

 

でも、合わないことってある。

仕事に合う合わないがあり、

なんなら、「サラリーマン」に合う合わないがあり、

そして、いま「フツウ」とされる生き方にも合う合わないはある。

 

これは学びと言ってもいい。

なぜなら、とりあえずそれがいくら少ない期間であろうと、

やってみなければわからなかったことだから。経験というやつ。

 

 

合わない場での生活は、ゼロから努力して積み重ねるという前向きなものではなく、

マイナスをなんとかトントンにできるかできないかという後ろ向きなものであった。

 

だからその時間は、より良い生き方の模索のための示唆はしてくれたものの、

それだけであった。

 

なら、それ以上にそこに留まっている意味はない。

24歳の時間を無為に過ごすことはない。

 

 

 

とまあ、そんな訳だった。

 

 

 

 

 

 

 

新しい仕事をしてみて気が付いたのは、

再び、違う慣習に溶け込むことや異なった業務を学ぶことの大変さだ。

当然だけども。

 

(たとえ少なくても)今まで築いたものはあったはずだけど、

全く関係ないことをやる場合はそういうのがチャラになって。

あるいはマイナスの境地でしていた前の仕事はナニモノも残してくれてはいなくて。

 

しかし何よりも、おれは希望してそこにいるわけだから、何も言い訳はできない。

 

そういうのは、結構のしかかってくる。

 

 

 

 

これはきっとしょうがないことなのだろうけど、

なにをどこまでワガママ言うつもりなのだ!という話なんだけど、

実際に職を変えるというのは、同じ会社の中ですら、なかなかの心労になる。

 

文句言うなら仕事辞めたらいいとか、

部署替えの希望を出したらいいとか、その通りで、自分もそうしたのだけど、

そのさきに待つ心労と、いまの安寧を比較してその場に立ち止まるのは、

そりゃあ大体の人がそうなってしまうわと、なんとなくさとる。

 

 

 

それでも、言わずもがなその心労は年齢を重ねるほどに重みを増すものだから、

地獄にどっぷり浸かる前には辞めた方がいいのは、間違えないんだけど。

 

 

だから敢えていうのは、

行くも地獄だし留まるも地獄

同じ地獄なら、行かなきゃ損でしょう。ということ。