キャパンのネゴト

うまく働けない欠陥労働者が日々考えることと目指すもの

世の中へ。今日の満員遅延電車より

 

 

 

今朝もまた、総武線各停の三鷹行きは「速度を落としての運行をしております」。

 

 

 

荷物でもトラブルでもなんでもいいけれど何かが起こる。すると電車の速度が落ちて、満員電車特有の体の捻れとかおじさんの頭皮とか空気の薄さや先の見えなさに気分が悪くなる。遅れれば次の到着駅では本来間に合うはずのなかった乗客群も乗ってくる。更に満員率を上げた電車は更にその特有な試練を課してくる。ついに耐え切れなくなった「ご気分の優れないお客様」が錦糸町秋葉原で助けを求めて再び停車。

嫌な思い出をひとりでに引っ張って増悪を自己増幅させるメンヘラ彼女(彼氏でもいいけど)のように、朝の総武線各停は些細な出来事でも大きな雪崩の怖れを常に孕んでいる。

 

 

 

さいきん、ほぼ日を読むことを再開した。

アプリができたためである。前はいちいちブラウザに行って日々更新していたからこれは大変ありがたい。

糸井重里さんの視点は優しく捉え方は広く、文章は相変わらず温かみがある。そしてほぼ日のサイトは非常にセンスが良く、物販はクオリティが高い。それにも関わらず、サイト内の糸井さん以外の文章を読むことはあまりないのだけど。箱がカッコ良すぎるというのも返って考えものなのか。

過ぎたるは及ばざるが如し。

 

 

 

さて、ほぼ日では長くまとまった文章が書かれることもあるのだけど、点(・)を使って天声人語風な箇条書き式に書かれていることもある。

それっていいなと思う。私にしたって書きたいことはポツポツと浮かんできても、それを掘ったり膨らませたり整えたりして人様の目に辛うじて耐えうるモノを作るのは手間だし、手間だなんて思ってるうちに思考はプイと首を傾げて何処かへ行ってしまう。それはなんとか繋ぎ止められることもあればもう一度戻ってくることもあるけど、大抵は二度と手に入らない。

だから、こんな風に関係あることないことを少しは関係ある風に書いていくのは気が楽だ。

 

 

 

通勤時間が長くなりそうだと思ってつい書き始めてしまったきょうのブログ、日比谷線もまた、ふと思い出したように止まる体たらくだけどそろそろ会社に着く。イヤだな。辞めたいな。

初めて電車の中で書いてみたけど、どうだろう。なんの推敲もなしで行ってらっしゃい。

満員電車、遅れるのは百歩譲っても開始時間ギリギリにつくのは勘弁してほしい。連絡をするのも億劫だし、かといって1分でも遅れれば無断遅刻だし。でもまあ、なんと思われようといいか。地獄へ行ってらっしゃい。

 

 

 

糸井さんが書いたら、満員電車も遅延も始業のギリギリに着くのことも温かくなるのかな。

それができるなら神業。視点を変えたら、私にもできるかね。