『桐島、部活やめるってよ』を観る / 高校生の時の「やりたいこと」。いまはどうなのよ。
なんだか、出し切った感。
腹の底に嫌な感じで滞留し、通勤中や夕食後に突然に逆流してくるもやもやの固まりが出切ったか。読んだ本のおかげで様々な形で文章にしたり、人に会えたおかげでより引き出しながら言葉に置き換えることができたからだと思う。とりあえず、それはよかったこと。
ちょっと困ったのは、新たに語るべき、コレといった芯が見当たらなくなったこと。残すべきものは残して言いたいことを言って、そのあとには雑多で細々した材料は落ちていてもその完成形は想像がつかないし、キーとなる部分も見つからない。
こんな時はインプットである。
上映中の映画を見ても、レンタルDVDショップに行ってもこれって直感が湧かないからhuluを借りて観た。(huluてなんであんなに二流な雰囲気の動画ばかりなの?)
『桐島、部活やめるってよ』てよ。
流行りのエンターテインメント情報に疎いけど、これは話題になっていた記憶がある。今さらこの映画の感想は古い?これおもしろいって、もしかしたらもうみんな知っているのかな?
おれは「作品」として、あーいいなと思ったのだ。
まず、物語としては「生き方」というシンプルかつ人類共通のテーマが設定されているために、スムーズに楽しめる。(しかも対象が闇過ぎず光過ぎない「中流」「一般」「普通」)高校生活、部活なんてのはあくまで装置として捉えれば、すぐに大学生にも社会人にも当てはまる。
次に、展開が面白い。群像劇。またでた。一人の主人公がいるのではなく、複数人の視点から物語られることで進行させていくスタイル。ここでは、視聴者であるおれは神の存在となる。ストーリーを進展させるに当たって、一人の人物の世界観とか心情を逐一描かなくても、周りの主体的な行動や仕草から推察することができるから、その分主観の範囲も広がるし説明口調もいらない。と思う。
こんな表情をすれば言葉がなくても伝わるのかとか。
逆に言葉ではコレだけ情報があれば表情を想像できるのかとか。
うまく表現できないけど、Dが伝えたい時に、A⇨B⇨CよってDとしなくても、A・C・EだからD(かもね)としてしまう。
最後に、メッセージ「お前は何して生きるんだ」はやっぱりいいね。
高校の時にひたすらに考えてたな。
まさかいままだ考えていて、なんならもっと差し迫っているなんて、彼らのこれからの苦労も絶えない。そしておれも。
やっぱりね、改めて文字に起こしたいけど「やりたいことがある」のは幸せだし、これからはその傾向は強まっていくはずだ。
おれがこの学校にいたら、美果に惚れてる、きっと。(顔のはなし)
実果役の清水くるみさんは桑田さんとも共演していた(!)驚きをもって、おしまい。