キャパンのネゴト

うまく働けない欠陥労働者が日々考えることと目指すもの

春分の日に雪とババアという絶望を生きる

 

 

 

居酒屋のテーブルの下で、足と足が偶然よりは少しだけ多めにぶつかる。「意外と指が長いんだね」「えー、そっちこそ」なんて言いながら手を触り合う。お?

それでも何もなかったかのように違う電車で帰る。今日の天気はそんな「お預け感」がある。

 

 

もう春だと思ったら大間違い。3月は優しい顔して冷たいヤツ。どんよりした空と雪混じりの冷たい雨のせいで天気予報の気温よりも低い気がする祝日、おれは深川江戸資料館でEd Sheeranを聴きながら過ごしてる。

 

 

隣では、自動ドアが吹くたびにヒヤリとした風が吹き込む狭いロビーの硬いベンチとベンチより10㎝ばかり高い机で、親子が体をくの字に曲げながらお弁当を食べている。さっきまでセブンイレブンの100円のおにぎりをコソコソ食べていたから文句は言えない。

 

 

都内視察の添乗中なのだ。そして時間がぽっかり空いている。ひま、要は。

 

 

 

 

 

いまの時間にやることはある気がする。いやきっとある。でも、それをやらなくてもたぶん団体は動くしたぶん地球も回る。かといって読書をして現実問題の一切を置き去りにするほどには慣れていない。

 

 

その結果、深川江戸資料館の薄ら寒いロビーの硬いベンチでコソコソおにぎりを食べてはEd Sheeranのアルバム『X』を聴きながらこうやって過ごしている訳である。で、これを読んでいたら、それに付き合わされている訳である。オンタイムって訳にはいかないけど。

 

 

ここの前には日本科学未来館の外で100名にチケットを渡していた。日本科学未来館は大変な混みようであった。春休みに祝日とあっては、子ども親親子どもの友達カップル子ども親親の友達とその子どもに連れられたおじいちゃん。そこに外国人。

 

 

雨とか雪とか暴風雨とかを想定しなかったのか、「近未来感」があると思ったのか、あるいはTDLに対抗しているのか、日本科学未来館の当日券の売り場は外にある。極寒とも言いたいほどの寒空の下、長蛇の列が絶えない。

 

 

そこでは耐えられないと顔に書いてある誘導係りのお姉さんが働く。「私、何してるんだろう…」と感じていたらいいなと思う。そうしたら、この世の中のこのタイミングでおんなじことを考えてる仲間を見付けれる。それはなんだかうれしい。

 

 

ついでに「今日の祝日を楽しみにしてたやつらがこの雨で台無しになればいい」なんて、それは言い過ぎか。

 

 

 

 

 

この添乗にはおれの他にも3人の雇われ添乗員がいるのだが、そのうちの一人は、それはもう飛びっきりに嫌味で性格の悪いババアである。みんな仕事がしたくなくて新人であるおれに回って来たと穿ってみてるのだが、まあとにかくこのババアとあと5日間、仕事をしなければいけない。

 

 

その嫌味さは、昨日、遅くまで働いた後のうまい酒が呑めるはずの席で、女性の先輩が思わず泣いてしまうほどだ。今朝、朝食の案内をしている時にも目を腫らしていたから、朝も何か小言を言われたのだろう。友達はいなそうだ、知らないけど。

 

 

ではあるのだけど、それでもそいつに怒ったり悔しくて泣いたりというのも何か違う。まず同じ土俵に立ってはいけない。次に本質を見なければいけない。

 

 

ババアの言うことは間違った内容ではないことだってある。問題なのは、その表現の仕方と態度だ。ねちっこく繰り返して誹謗中傷しながら文句の体を取ってミスをあげつらう。

 

 

それは人としてオワッテルのだけど、オワッテもいいからその言い方がしたいのだろう。なぜか。キライだから。それだけである。

 

 

嫌われてる相手に怒っても悔しがってもしょうがない。となると、対処としては悪いところを改善して認めてもらうか、無視するか、もしくは両方のミックスか、しかないだろう、たぶん。

 

 

 

 

 

まあそうやって生きた。

生きたって重さのある言葉で、その重さの分の実感がある。

 

おわり。続くけど、悪夢は。