芝公園のスペードの3
1月に営業にしてもらって、
でも3月まではヘルプばかりで全然できなくて、
4月になってやっと外に出れるようになった。
新入社員か!!
営業はいい、人と話せるし地面を歩ける。
好きなところへ行っていいと言うから、
商品とか転職先として気になる企業に突撃している。
好きな時間に行っていいと言うから、
朝も昼もゆっくり出かけてる。
結果はすぐには出ないと言うから、
お気楽にやってる。
きょうは曇天で風が少し強めだけど、歩くには快適だった。
だから70分くらい歩いた。
歩くのはいい。
歩きながら考えていたのは長宗我部元親の生涯。
いま読んでいる最中だけど途中で書いてしまおう。
物語はちょうど同年代の25歳から始まる。親近感だ。
元親と言えば四国統一をした四国の覇者として有名だが、どうやらその「統一」という発想からして四国初らしい。
戦国時代、1570年辺りまで、それぞれの土地で細かい争いがあるだけで隣の領地へ攻めるという感覚すらなかった。土佐は一つの国であるという意識すら。
鎌倉時代がそのまま残った地に突如として現れた王。それが元親だ。
司馬遼太郎の人物評のウマさを差し引いても、元親は英雄の風ふく、クセ(表面的な臆病さと強かさのギャップ)と壮大さを併せ持つ男である。
例えばようやく土佐を統一し、いよいよ阿波(今の徳島)を攻めるとなったときのこと。
日本史初で統一された土佐民はまだバラバラで、総員出撃しなければ留守の隙に反乱が起こる恐れがあった。
しかし土佐から阿波への道は険しく、行軍は一列にならないと進めないため、大勢で行くことができなかった。
そこで家臣団はこの行軍自体に反対した。
そんな時に元親が呆れながら家臣に言ったのは「両手を使え」。「右手だけでなく左手も」。
つまり、阿波を攻めながら、伊予(愛媛)も攻めればいい、ということ。
例えば阿波を攻め終えて征服が完了したときのこと。
岡豊の城は祝賀ムードで、元親のもとに次々と祝辞を述べに人が訪れた。
しかし本人は一向に浮かぬ顔である。
元親が(元来の臆病も手伝って)憂鬱なのは、「敵は信長になる」からだった。
思考の範囲が周りとは異なっている。クセがあり、かつ壮大。
それに比べておれの悩みといったら、なんて小さいのだ。1578年の土佐の田舎侍ではないか。
別におっきなことを為さなくてもいい。
おっきな枠組みだと取りこぼすことも足元掬われることもある。
でも、おっきなことを考えていないと、悩みが、思考の範囲がちっちゃくなる。
おっきなことを考えていれば、失敗とか評価とか、もはや視野に入らなくなるほどどうでもよいでしょう。
ちっちゃいことが悪いわけではないけど、やっぱりそれはダサいでしょう。
昨日は、テキトーに歌詞から頂いて「でっかく生きようぜ」なんてタイトルにしてしまったけど、要はこういうことなのかな。
でっかく生きようぜ。
今日は少しポジティブ?