キャパンのネゴト

うまく働けない欠陥労働者が日々考えることと目指すもの

ゴールデンウィークで考えたこと

今週のお題ゴールデンウィーク2018」

 

 

雑記。メモとしての記事。

 

ゴールデンウィーク五島列島に行った。

去年からずっと続けている「住む場所」を探す旅。

 

今年のゴールデンウィークは当たり前のように9連休にした。

長く旅がしたい、よりも、わざわざ間に出勤するほどの意欲はない、の方が大きかった。

 

マルクスは言った。

賃金は労働力の再生産の目的の元で決定される、と。

休みも同じく。

給料も休暇も、また元気に働いてもらうための計算の上で与えられている。

ゴールデンウィーク楽しかったな。明日からの仕事は嫌だけど、まあ頑張るか!」

は資本主義社会の思うツボだ。

 

しかしそうは言っても、旅に出た時に「帰る場所」があるのは心強い。

仕事があり、お金がもらえ、寝る場所がある。

「ああ、自分には居場所があるんだな。旅できるのも会社のおかげか」

と職や賃金を与えてもらっていることに感謝を感じるのもまた確かである。

 

 

物事には裏表、2つ以上の見方がある。

 

 

好きに生きなさいよ、というのも

責任を果たしなさいよ、というのも

何も考えるな感じろ、というのも

賢くなれ、というのも、全部正義である。

 

その時、その状況での一つの判断でありどれも間違いではない。

だから、それ自体を「間違えである」と糾弾するのは難しい。

 

 

泣いても笑ってもどれも正義であるなら、考え過ぎないのが良いかもしれない。

 

こうなったら、大切なのは結論ではなくて根拠だ。

 

ネット上にも現実の世界にも、結論ばかりが先行している。

付随する根拠は薄っぺらく、見えにくい。

 

どちらも正義でその狭間で迷い悶えるものへ、

光の差し出しはあってもその光源はわからない。

 

 

結局は自分で決めねばならないのだ。

人生は選択の連続。

ググって出てくるのは他人の選択。

 

 

ゴールデンウィークが示した物事の二面性は、

その中で、答えなんかあるはずがない中でもがいていた若者を照らし出した。

 

 

 

 

 

これは雑記、メモとしての記事。

 

本当は2つ前の記事でこのブログ終わらせようと思っていたけど、

書く手は止まらない。

どうせ書くなら、今度からは堂々と書こうと思う。

 

今回の旅でとても良い場所を見つけることができた。

住む場所を探す旅もひと段落である。

 

自分のメディア作りも将来には必要だろう。

次はそれに勤しもう。

 

 

この2年間を一つの根拠に据えて、

終わりも正解もない問いにケリをつけて、

先に進みたいものだ。