キャパンのネゴト

うまく働けない欠陥労働者が日々考えることと目指すもの

サザエさん症候群は、遅れてやってくる

休日の過ごし方は2種類しかない。

①『ねじまき鳥クロニクル』のオカダ的生活

②一日中遊ぶ

 

だから休日の過ごし方の組み合わせは4つしかない。

土曜日②日曜日①、土曜日日曜日②、土曜日日曜日①、土曜日①日曜日②

 

 

①はひとり暮らしの憧れだ。

朝、目が覚めるタイミングで起きて(だいたい8時半)、朝食を作って掃除、洗濯。

ジムに泳ぎに行って、帰りに買い物。遅い昼食を作る。

午後は図書館へ行き、新しい本を物色して読みあさる。

夕方には帰宅してお酒を呑みながら映画を観る。

頭の世界があっちいった状態で眠る。

 

大好きな『ねじまき鳥クロニクル』のオカダを理想とした過ごし方。これがかなり充実感ある。

 

しかし一方で結構寂しくもある。

結局、オカダが不可思議な物語に巻き込まれる(を作る)のも、流れが自己完結した生活に淀みがでたから、と推測できる。

それほど、他人と関わらずに充実感を得るのは危険な行為でもある、ひととして。

 

 

そこで②。とことん誰かと遊ぶようにする。

観光、登山、テーマパーク、BBQ、キャンプ、芸術鑑賞、、

「東京だからできること」をテーマにとりあえず気になったことをし、気になったところに行く。

 

オンの状態を作ること(おめかしをすること)、おしゃべりをすること、いつもと違う景色をみること、「その人と一緒でなければ決してしないこと」をすること、騒ぐこと、食べること、そして疲れること。

この動作が、①の空中分解的居心地の悪さを解消して一つ一つ繋ぎ合わせてまた自分を形作ってくれる。

 

疲れたらまた①に戻る。

 

 

 

こんな繰り返しをしているから、休日はとても楽しい。

 

とても楽しいから、日曜日の夜になると「明日から仕事か、そろそろ働くか。」という気分になる。

よくいう、日曜日に月曜日を思って憂鬱になる気持ち、いわゆるサザエさん症候群には共感ができないのだ。

ましてや土曜日のこの時点から明日の「月曜日を思って憂鬱になる気持ち」なんていわずもがな。いま楽しいのになぜ仕事のことを考えるのか。

 

 

 

ひとは、働かないでは生きていくことはできないとおもう。

ドイツの留学中は遊びすぎて辛かった。働かないで遊んで暮らせるほど、そもそもが都合よくできていないのだろう。

 

だから、働きたいとか働かなければとかではなく、ごく純粋に、そろそろ働いてもいいな、と思うのだ。

 

じゃあ1週間のサイクルは完璧かって。

そんなはずはない。

おれのサザエさん症候群は2日遅れてやってくる。

 

問題は休み明けの仕事ではない、休み明けが5日間も続くことだ。