キャパンのネゴト

うまく働けない欠陥労働者が日々考えることと目指すもの

テストという素敵な制度と、人生と怠慢について

今週のお題「テスト」

 

テストとは、思い返せば実にシンプルでイージーなゲームだった。

上手下手の差こそあれ、基本的にはどの教科も一から、懇切丁寧に教えてもらう。

赤子に教えるように、手取り足取り。基礎から応用まで練りに練られた教科書とともに。

そして定着を試すために、3ヶ月に1回程度の頻度で行う。

条件は、中身が必ず今まで教わったことであることと規定の時間内に解くこと。

 

そこには、何を問われるのかという推測や調査もなければ、問われた回答に対する創意工夫も必要がない。だから途方に暮れる心配もないし、不安になることもない。

これでもかと余分な要素を削ぎ落とされたストレートな出来レースである。

 

本当は。

 

 

 

 

それでもその簡潔なはずのテストに苦慮した記憶があるひとはきっと多いと思うし、自分もそう。

 

中1の頃はいいだろう。中2からは徐々に難しくなって、そもそもの「一からの教育」にすらついていけなくなるかもしれない。部活も忙しくなってくる。テスト期間で部活がない時は恋愛に時間が割ける。もしかしたら勉強の環境が整わないことも。そして最後は条件である「時間内に解くこと」に苦しめられる。

なんだかんだと、テストがうまくいかなくなる。

 

 

しかし実のところ、イージーゲームがうまくいかなくなる理由はほぼ、一言にまとめられる。

怠慢だ。

 

1つは学習者の怠慢

シンプルな仕組みの負の点は、なめられること。習った範囲から出るとわかっていると、習ったその場以降はやらなくなる。

ベネッセのひとがきて、「人間の記憶は1時間後には半分、1週間で70%も忘れてしまうんですよ。だから復習しましょうね」と言ったところで、その言葉自体を1時間後には忘れてしまっているから、自分が忘れていることにも気が付かないで放置する。

仮に1カ所わからなくても、早めに聞いておけば済む話し。2カ所わからなければ2カ所聞けばいい。

勉強をする所がなければ図書館も使える。

 

論理的に言えばこうなる。

そして机上ではこの論理は成り立ち、優秀な(はずの)教師と完璧な(はずの)教科書を伴い、誰でもそこそこのレベルはできるようになるはずなのだ。

 

 

それが、うまくいかない、あるいは部活>勉強、恋愛>勉強になるのは、教師が提示している目的がぼやけているからだ。

2つ目の、教える側の怠慢

「テストの意義」を高成績を取ること、そしていい大学に行くこと、と安直に語ることはただの思考停止である。

 

「テストの意義」は①学習内容の定着の確認と②「物事の習得」方法の会得のための教育の2つであるべきだ。

点は関係ない。大学も関係ない。

①は単純に、ちゃんと教師自身の教えたことが伝わっているか。もし①ができていないなら、教え方と目配りが悪いということ。平均点が低くて怒る教師もいたが、自分の教える力がないことを学生のせいにするなんて責任転嫁もいいところで頭が悪すぎる。

 

そして①よりも大事なのは②だ。

テストは本来イージーゲームであること、ひいては人生はイージーゲームであることを伝えられないといけない。

「勉強とテストによって習ったことを覚えて力にする」、多教科による多方面のこの「物事の習得」方法の会得により「習えばできる」ことを体に染み込ませなければいけないのだ。

なぜなら、シンプルなこの流れは、うまく生きることの基礎であるから。

人類の祖先からずっと、仕事の効率化は永遠の課題として取り組まれ続けてその結果、日々の業務は驚くほど簡潔になった。だからこれさえ知っていれば、世の中の効率化された仕事に対しては、大抵こなせるはずなのだ。

 

しかし1年間働いてみて、その簡潔な仕事ですら理解できないひとが多いことを知った。その人たちは正しく「テストの意義」を学べなかったのだろう。

 

「君たちは世の中をうまく渡っていくために、せめてこんな簡単なこと(テスト)はできるようになる必要があるよ。もし躓いたら、できるようになるまでやり方を教えよう」と、教師はそう言うべきなのだ。

教師の怠慢の負の影響力は大きい。

 

 

 

 

いまの教育体制を批判する人がいる。

詰め込み型教育が悪い。学校の体制が古い。

違うとおもう。テストという、この簡潔で素敵な仕組みすら適切に運用できない教師と学校と学生の怠慢だ。単純な話しだ。

 

さらに原因を突き詰めることはできる。教師の働き方改革が旬な話題なのもその一つ。

また、あくまで「物事の習得」の会得なんて所詮は始めの一歩で、実際には応用力や疑う力や枠に囚われない思考力も、仕事を効率化させる立場になるためには必要だ。

でもまあ、それらは別の議論として、とにかくテスト自体はシンプルでイージーで無害で意外と素敵な仕組みである。

 

立ち向かうべきは怠惰だ。

会社の評価基準に「TOEICで800点以上取る」と書いたにも関わらずロクに勉強せず、以前よりも低い630点を取った自分は、シンプルであることを理解しながらもそれを怠ったタチの悪い愚か者である。

立ち向かうべきは怠惰だ。

 

 

怠慢こそは人間の動物らしさだ、なんて締めにしようとしたけど、そんなことを言い出したら何も議論が成り立たなくなるから、やめた。正解。

 

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