キャパンのネゴト

うまく働けない欠陥労働者が日々考えることと目指すもの

なんだかんだ言ったって、サラリーマン生活は天国である

9日間の夏休みについて記しておく。

地元、高崎に帰って酒屋を営むおじいちゃんの手伝いをし、知り合いの個人会社の手伝いをし、そして実家でのんびり過ごした。

 
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一緒にのんびり過ごしたイヌ かわいい

 

おじいちゃんのお店では、受注管理や帳簿整理、バイトへの配達の指示などをした。

子どもの頃からおじいちゃんの家によく行っていて、その仕事は間近で見ていた。けれどその時は、何をしているのかさっぱりわかっておらず、なんだかすごいことをしているみたいに見えていた。

社会人をかじったいまは、説明されてなるほどふんふんとその内容が理解できて、それが嬉しかった。

 

おじいちゃんの仕事はまちの酒屋であり、要は卸し問屋である。仕事の内容自体はそれほど複雑なものではない。

すごいのは、居酒屋が雨後の筍の様にできては潰れたり、大手や直販の攻勢で卸しへの風当たりが激厳しい中で、成り立たせている、その信頼だ。

 

仕事が終わった後に呑みに連れてもらったときには、それがいかほどのものか、思い知った。

行く先々で声をかけられるおじいちゃんは誇らしかったし、その分酒も進んだ。

 

それでも、いまや稼ぎは趣味程度らしい。見ている限りでも景気はよくなさそうだ。めちゃめちゃによかったときもあったそう。いい時もわるい時もあり、いまは二人して泥酔して帰ってきても待っててくれるおばあちゃんと、仲良くやっている。

 

 

 

もう一方でも、付いて回って業務を見ていた。

こちらは初めたばかりで状況はより不安定であった。

運転する時も、営業する時も、考える時も、なにをしていてもひとりである。

朝どれくらい早くから動き出そうと、夜どれくらい遅くまで仕事しようと、それへの直接的な対価はない。

いくら東京と群馬を往復しようと、交通費は全部、自分持ちだ。

当たり前である。

 

しかしそれすらも、楽しくやっている。

自分が正しいと思うことを追求し、お金を稼げると確信することへ挑戦する。

そこに前のめりな姿勢とか、目の輝きがあった。

 

 

 

いますぐ会社を辞めて自営業で生計を立てたいと思って社会科見学をし、またこんなぐうたらで過ごしたいと思って堕落の底まで極めた生活を送った。

還ったら全く何も変わらない日常が待っていた。相変わらずの、紋切り型代表のスーツに鬱陶しい満員電車、退屈な仕事に小学校のような職場。頭痛くなってお腹痛くなって不機嫌に過ごした。

 

でも一方で、ドカッと腰が据わるような、フーと息をついて落ち着けるような、安心感があったのも事実だ。

慣れた環境だというのももちろんあると思うけどそれだけではないだろう。

 

成果と直接的な関係なしに、働いた時間の分だけ給料をもらえること。

休日が確保されていて、堂々と休むことができること。

日本や世界各地へ研修に、あるいは営業に行けること。

会社のお金であらゆるところへ行き、あらゆることを経験できる。その安心感。

 

安定した生活を確保した上で、挑戦ができる。

そして飽きたなら会社には、いまの仕事以外にも他の仕事がある。その安心感。

 

こんな天国はないだろう。

天国にいながらあっちの天国がいいとか、こっちの天国がいいとか言うのは愚かしい。

せっかく天国にいるのだから、思い切り満喫しない手は、まあつまり利用しない手はない。そんなことを学んだ。

 

そう、記しておく。