キャパンのネゴト

うまく働けない欠陥労働者が日々考えることと目指すもの

デートをしよう。いつまでも

 

 

 

結局のところ、デートはした方がいい。

 

デートとは、ドキドキしなければいけない。

 

もしドキドキしないなら、それはただのトキの共有である。

 

 

 

 

トキの共有はトキの共有で必要だ。人は一人では生きていけないから

 

街を歩くにもカフェで本を読むにも食事も寝るのも、一人よりは二人のほうがいいに決まってる。

 

でもトキの共有はあくまでもトキの共有だ。

ドキドキする時間とは、どうしても違う。

 

 

 

 

トキの共有とドキドキが重なるならそれは画期的で実利的で時間対効果の高い時間となる。

 

しかしそうもいかないこともあるし、きっとその方が多いだろう。それならば、少なくとも今どちらの時間なのかの色分けは必要だ。これはデートなのか、トキの共有なのか。

 

 

 

 

配偶者がいようといまいと、許婚者がいようといまいと、ましてや恋人がいようといまいとこればかりは関係ない。

 

なぜなら、人生における過ごし方の話をしているのであって、人生における人との関係性の話ではないからだ。

 

 

 

 

そもそも、なんのために生まれてきたのか。ドキドキワクワクのためじゃないなら、なにを感じたいのか。

 

安心や怠惰な静の快感もいいが、それはあくまでも動の感情があってこそのものだ。

 

デート -まあ要は多少なりともドキドキする時間- =動の快感、これはどうしても必要だ。

 

 

 

 

相手は別に性別も年齢も立場も関係性もなにも問わない。

 

ドキドキするならそれはデートだし、デートだったらドキドキする。受話器がついてたらそれは電話だし、電話には受話器がついている。ニワトリは先だし、卵も先。

 

そんな時間は、どうしても、結局、生きていくのは必要であるだろう、とわに。

 

 

 

 

中でも特に、春を待つ金曜日の夜には。