両親、犬
仕事を辞めるだのあれがやりたいだのと言っていると、
父親と母親への尊敬の念が出てくる。
父は今のおれと同じ年の頃から働いてまだ働いている。
しかも今は高崎から東京まで新幹線通勤。
母親はもっと若い頃から働いていた。
辞めたいとも思っただろうし、
他の人生の想像もしただろう。
続けていくだけで精一杯な時もあったと思う。
今なら想像くらいはできる。
でも続けている。
そうしながらさらに、子育て。
子育てというのも子を育てればいいだけではない。
病院通い、様々な申請、税金やローンとか
思い付くだけで土日の全時間はなくなる。
オマケに全てが初挑戦。
家に帰っても、
正解がわからない手探りのストレス。
書いているだけでへこたれそうだ。
今週末は実家に帰る。
ありがとうと、すげえなあと、どうだった?がしたい。
それでできれば、
おれは無理そうです、すみませんも。
家に帰ったらもう一つ、犬に会いたい。
さいきん糸井重里さんの飼い犬が亡くなったらしく
『ほぼ日』では連日その犬のことや
その犬を想う糸井さんのことが書かれる。
見たことなんかないけど少し悲しくなっていたら、
うちの犬が夢に出てきた。
だから会いたい。
散歩したい。
「あ、写真撮っときゃよかった!」と思ったときは既に遅い。
きょうは渋谷に言ったから一言書こうと思って、
それなら写真撮っとこうて。
渋谷は都内でも有数の人の多さだ。
特に若者。特に女子。
ここにいる何人が1年後もまだ渋谷を歩くのか、いや東京にいるのか。
ここにいる人に似たどれだけの新しい人がここを歩くのだろう。
まあそれだけなんだけど、渋谷の笑顔は妙に虚しい。