天邪鬼武士
一言で言えば天邪鬼。
皆が行くなら行かない、行かないなら行く。
時計を左につけるのが普通なら右につける。
主義や主張ではない。ただ単純に 人と違うことをしたい だけ。
誰しもが持つ欲求ではあるけれど、
小さい頃から気が付いていたのだろうか、
そんなしょうもない小さなことから始めなければ、
自分は人との違いを生み出せないことに。
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歴史の本を読み進めていくうちに考えることがある。
以前は歴史の本を読みながら、
おこがましさ承知の上であるが、
司馬遼太郎に描かれたらどんな風に描写されるだろうか、自分はまだまだいけるんじゃないか、なんて思っていた。
例えば、明智光秀は越前朝倉家に仕官し名を上げ始めたのは30代後半からである。
20代は流浪の時間であった。
例えば、坂本龍馬は時勢に疎く、周囲の攘夷志士が東奔西走している中、勝海舟の弟子入りしたのは28歳で、日本史に残る活動はそれからである。
まだ時間はある。
しかし上の両者、冷静になれば、
明智光秀は出自が清和源氏の流れを引く土岐氏であるとも言われるし、
坂本龍馬は実家が著名な富豪である。さらに無名の頃でも江戸では三大道場の一つである桶町千葉道場の塾頭を担っていた。
当時、残り二つの志学館は武市半平太、練兵館は桂小五郎であったが、
司馬遼太郎はこれをわかりやすく、
この三道場はそれぞれ千数百人ずつの若い剣術諸生を収容している。今日でいえば、さしずめ、東京大学、早稲田大学、慶応義塾大学というところだろうか。
・・・
剣を学ぶ一方、たがいに国事を語りあい、書物を交換しあい、意見を練りあって、入塾一年もたてば、ひとかどの志士になってしまう。
維新の志士(佐幕派のたとえば新選組隊士などもふくめて)の多くは、この三大道場から出ているし、もしこの三大道場がなければ日本史も相当ちがったものになっているだろう。
かれらの思想は、多くは剣術仲間からきいた耳学問であり、たれを思想の師匠とするよりも、むしろ友人仲間で切磋琢磨しあった。
と表している。
つまり、歴史上に名を残したもののうち、
遅咲きであった人たちでさえ、下積み時代から既に異色なのである。
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何かの本に、
歴史語りは人物を平凡化させる
とあり、これが強烈に自分の中に残っている。
確かにそうだ。
歴史上の人物は何も豪傑なだけじゃなく汚らしく、
華やかな成功だけでなく血反吐な努力をしているし、
賑やかなだけでなく寂しさもあったはずなのだ。
歴史を上からみて知った気になっている自分たちが次の世の中を全く想像できていないように、
その当時だって 次 がわからない中でもがいて不安の中で突き進んでいたのである。
よく、戦国武将から学ぶ、とか幕末志士の生き方を参考にする、
と、さもそれが簡単なことのように書かれることがあるが、気休めだろう。
レベルが違いすぎる。
何者でもない自分は、
せいぜいが【彼らには血気というものしかなく、ただ風雲の中にその命を散らしていくばかりだった】とかなんとか、
主役が文庫本8冊もの長きに渡って語られるうちの一節で済ませられる、その他大勢になるだけだ。
ネガティブではない。
ただただ現実がそうであるというだけで、
かといって将来がそのままだというわけでもないし、
そうでいいというわけでもないし、
だからしょうもないちっちゃいこだわりだってなんでもいいから地道にやるしかないのだ、という認識の改めである。
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話が大幅にズレたが天邪鬼の話に戻ると、このブログに関しても当てはまるのだ。
調子が悪い時というのは、
1日の終わりに体内にエネルギーが残存し、
それが続くことで停滞、沈殿していってやがて鬱屈とした気分になる。
その吐け口として機能していたこのブログは、
つまり調子がよくなるにつれて投稿数が減っていった。
この2年半ほどの旅に一区切りつけようと編集画面を開けども、なかなかタイピングも進まない。
皮肉な話だ。
これではポジティブなことが何も書けないではないか。
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さて、12月末に最終出社をして1月末に退職。
転職をして3月から新しい会社で働く。
社会人になってから2年と9ヶ月。
このブログを始めた歴史と重なる。
遡ると目も当てられないような内容ばかりでまともには読み返せない。
調子が戻り、ようやく次に踏み出せた。
転職先は新卒時からの希望で再挑戦であったから、この結果は既定路線であったようで、しかしそう簡単には決められなかった。
意欲・覇気が決定的に欠如していたから。
前向きになれたのは、
【達成できたら自分が自分に対して納得できる目標】を作り、なんとかそれを達成できたからだ。
この2年間、そんな営みの中で引くほど歩みが遅々として、その度にたくさん助けてもらった。
壁に当たって、立ち竦んで、もう嫌だと喚いて、立たせてもらって、手を取ってもらって、道を示してもらって、別の登る道を見つけて、乗り越える。
きっとこれからずっと繰り返される、行為。
徐々に立ち直るのにも時間が掛かってきたし、周りに迷惑をかけることも甚だしくなってきた。
次は大丈夫だろうか。
いや多分、ダメだろう。
まあしかしそうは言っても、その他大勢だけは勘弁なのだ。
じゃなきゃ、もっと普通に生きているだけでよい。
これまでの助けと、それと自分を裏切るわけにはいかない。
またどこかでこういう書き方をする文章を見つけたら、読んでくれたら嬉しい。
その時はひとかどの武士になれているだろうか。
ひと段落も結果発表も締めもないブログなんて無責任であるからどうしてもこの記事を書きたかった。
それでは、また会う日まで。